こんにちは!データサイエンティストの青木和也(https://twitter.com/kaizen_oni)です!
本記事では、組織の意思決定にズブズブに絡み込んでいる「空気」というものについて、著者なりの観点で切り込んだ1冊『「空気」の研究』を読んで得た学びを3つご紹介いたします!
本書は非常に難解な言い回しで書かれているため、本書の要旨を理解するのは最寄駅から目隠しで家に帰る並みに大変ですが、書籍の一部だけでも「「空気」の正体ってそういうことだったのか…」と気づきを得ることができるので、組織の力学について興味のある方にはぜひ本書をお勧めいたします!
本書の概要
一体この「空気」は、どのようにして醸成され、どのように作用し、作用が終わればどのようにして跡形もなく消えてしまうのであろう。
山本七平『空気の研究』(2018/文藝春秋)P23
本書は、「KY(=空気が読めない)」などというように日本人の感覚としてごく自然に浸透している「空気」について論述された書籍になります。
上記引用文のように、「空気」が醸成方法や人への作用方法、そして「空気」への「水」を差す手順などが解説されており、組織の力学を把握したい方にとって一読の価値はある書籍です。
一方で、書籍の内容はかなり難解な言い回しと当時の時事ネタで書かれている部分もあり、ブログ主も本書の内容を完全に理解しているかと問われれば、明らかにNOです。
そのため、組織の「空気」の力学に対して興味がある方が組織力学の1つの考え方として、特にお年を召した上司がいる場合に「もしかしたらこのマインドに近いのかもしれないな」という把握をするための一助として本書をお読みになるのが良いと思われます。
本書の章立ては以下のとおりです。
- 「空気」の研究
- 「水=通常性」の研究
- 日本的根本主義について
本書から得た学び
私が本書から得た学びは以下の3つです
- 「公害は車のせいだ!」から感じる日本の「空気」による支配
- 裸の王様における子どもは「空気」をぶっ壊す「水」の役割
- 「絶対的」にではなく、「相対的」に把握しよう
順を追って解説していきます。
「公害は車のせいだ!」から感じる日本の「空気」による支配
イスラエルで、ある遺跡の発掘をしていたとき、古代の墓地が出てきた。
山本七平『空気の研究』(2018/文藝春秋)P34
人骨・髑髏がざらざらと出てくる。
こういう場合、必要なサンプル以外の人骨は、一応少し離れた場所に投棄して墓の形態そのほかを調べるわけだが、その投棄が相当な作業量となり、日本人とユダヤ人が共同で、毎日のように人骨を運ぶこととなった。
それが約1週間ほど続くと、ユダヤ人の方は何でもないが、従事していた日本人二名の方は少しおかしくなり、本当に病人同様の状態になってしまった。
ところが、この人骨投棄が終わると二人ともケロリとなおってしまった。
上記の引用文における、ユダヤ人と日本人の違いは、「人骨という物体をどのように捉えていたか」です。
ユダヤ人にとっては、人骨はただの物体でしかありませんが、日本人にとっては人骨は「かつて生きていた人の霊が宿っているかもしれないもの」「かつて人間だったものの一部」という、一種の想像力が掻き立てられてしまい、気分が悪くなってしまったのです。
本書においては、物の背後をまるで物質に魂が宿っていたり、人格があるように感じてしまうことを「臨在感的把握」と呼んでいます。
日本語以外で考えるのであれば、「アニマ(霊魂)」と呼んだ方がいいかもしれません。
そして、日本における「空気」の醸成は、臨在感的に把握された物が「絶対化」されることによって行われると言います。
例をいくつか挙げて、「臨在感的把握からの絶対化」が「空気」が醸成される事例を見ていきましょう。
- 公害問題が取り沙汰されていたとき、「車」は臨在感的に把握され、絶対的な「悪」と見なされて、「車は悪いもので、廃止すべきだ」という「空気」が醸成された
- 戦時中、「戦艦大和」は臨在感的に把握され、絶対的な「勇敢さ」の象徴として見なされて、敗戦濃厚にもかかわらず「突撃以外の選択肢はない」という「空気」が醸成された
- かつての日本では、「ゲーム」は臨在感的に把握され、子どもの健全な精神の成長を阻害する絶対的な「悪」の象徴と見なされて、「ゲームをやっているとゲーム脳という状態になってしまう」という「空気」が醸成された
上記のすべての事例に言えるのは、現代であればそれらの「空気」が実は正しくなかった、ということが証明されている点にあります。
一方で、当時はデータなどをもとにそのような「空気」を否定する人がいたとしても、「何を言っている、世論が悪と言っていればそれは悪だろう」というように、「空気」の強固な力は科学的反証にも優っていたという事実です。
このような「空気」に基づく意思決定は、企業によっては当然のように執り行われているはずであるので、「空気」は科学にも優る場合がある、ということはビジネスパーソンとして念頭においておく必要があるでしょう。
裸の王様における子どもは「空気」をぶっ壊す「水」の役割
女形は男性であるという「事実」を大声で指摘しつづける者は、そこに存在してはならぬ「非演劇人・非観客」であり、そういう者が存在すれば、それが表現している真実が崩れてしまう世界である。
山本七平『空気の研究』(2018/文藝春秋)P173
例えば、上記引用文のように、歌舞伎座の女形の役者を指差して「なんで男の人なのに、女の人のふりをしているの?」という子どもがいたら、お母さんは「しっ!静かにして!」と牽制をするかもしれません。
このような子どもの発言を、「水」を差すと表現しますが、本書ではこの「水」こそ「空気」をぶち破る方法という記述がされています。
そして、本書における「空気」と「水」の対比関係をざっくりと説明すると
- 「空気」は人々の臨在感的把握と絶対化によって生み出された虚構
- 「水」は虚構から抜け出した人の通常の思考から発せられる発言等
と説明することができます。
つまり、「空気」というのはみんなが抱いている妄想のような状況が往々にしてあるのです
- 演劇は「そこに物語の登場人物が存在する」という集団が作り出した虚構
- 戦時中の日本軍は「日本は精神的に強く、精神的強さは武器にも優る」という虚構に基づいて重装備のロシア軍/アメリカ軍に無謀な戦争を仕掛けていた
- 居酒屋における「俺らで起業しようぜ!」話はその場のノリとアルコールによって生み出された虚構
- 裸の王様における「愚か者には見えない服を王様は着ている」という虚構に基づいて、全員が王様の服が見えているふりをしている
そして、上記のような「空気」は通常性から生まれる「水」によって一気に消えてしまいます。
- 子どもの「なんであの人は物語のキャラになりきっているの?」という「水」
- 優秀な将校の「日本とアメリカでは軍備の違いが大きく、敗戦濃厚です」という「水」
- 冷静な友人の「で、ビジネスプランと資本はあるの?」という「水」
- 子どもの「王様が裸だ!」という「水」
上記のように考えると、企業が外部のコンサルタントに仕事を依頼する理由は「自分たちでは空気を破れないので、外から水をぶっかけてほしい」ということなのかもしれません。
「空気」とは虚構を暗黙の了解のもと支え合っており、企業の中に自由に発言できる安全性がなければ、子どものように指を指して「水」を差すことができない。
そのような環境が嫌であれば外部のコンサルに水をぶっかけてもらうか、自分自身が場所を移るしかないのかもしれません。
「絶対的」にではなく、「相対的」に把握しよう
「公害」という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、公害問題が解決できなくなる。
山本七平『空気の研究』(2018/文藝春秋)P173
ある概念を絶対だと思うことは、「空気」に囚われてしまうことを意味します。
- コロナは絶対的な悪だから、必ず根絶すべき!
- アメリカは絶対的な敵だから、一億総玉砕してでも潰すべき!
- ゲームは絶対的な悪だから、子どもには与えてはならない!
ですが、上記は一面的な見方でしかない、というのが本書の主張です。
- 「コロナは根絶すべき!だから根絶するまでロックダウンを行え!」という見方もあれば、「コロナという危機的状況ではあるものの、経済的打撃も計り知れないので、重症化リスクの低い人は経済活動を再開すべき」という見方もあります
- 「アメリカは絶対的だから一億玉砕してでも潰せ!」という見方もあれば、「本当に日本のことを思うのであれば、これ以上日本国民の血を流さないために降伏するのも1つの選択肢では」という見方もあります
- 「ゲームは悪!子どもには絶対に与えるな!」という見方もあれば、「ゲームはコミュニケーション手段であり、子どもの想像力を引き立てるものでもあるので、ゲーム時間を適切にコントロールすることのほうが重要」という見方もあります
つまり、「空気」に流されて「確かにそうかも」と納得してしまう意見の反対には、別の視点が隠れているのかもしれないのです。
あなたの信じている概念は本当に正しいのでしょうか?
それを証明するデータがあり、そのデータは適切に検証されているのでしょうか?
何か欠けている視点はないでしょうか?
そういった批判的思考こそが「空気」を脱し、適切に「水」を差すために重要だという気づきを本書から得ました。
まとめ
本記事では、組織の意思決定にズブズブに絡み込んでいる「空気」というものについて、著者なりの観点で切り込んだ1冊『「空気」の研究』を読んで得た学びを3つご紹介いたしました!
本書にもあるように、「空気」は日本特有のもので、目的やデータにフォーカスしたアメリカ人には存在しない概念です。
日本で働く以上は、否応なしに会社の「空気」に晒される部分があるかと思いますので、本書を読んで「空気」がある前提の上で自分はどう振る舞うかを考えていくのが、本書の正しい使い方だと私は考えます。
本記事を読んで気になった方はぜひ本書を手に取って、内容の難しさに苦しんでみてください!
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